《トゥーランドット》には、少し不思議なところがあります。
第3幕。
リューが死ぬ。
ティムールと群衆が、その亡骸を見送る。
静かに葬列が遠ざかっていく。
そして――
ここでプッチーニの音楽は途切れます。
けれど、私たちが現在見る《トゥーランドット》は、ここでは終わりません。
このあとカラフとトゥーランドットが向き合い、姫は愛を知る。
最後には大合唱が響き、物語は華やかに閉じられます。
では、その部分を書いたのは誰なのでしょう。
そして私たちが聴いている《トゥーランドット》は、いったいどこまでがプッチーニなのでしょうか。
プッチーニは《トゥーランドット》を完成できなかった
ジャコモ・プッチーニにとって、《トゥーランドット》は最後のオペラになりました。
作曲は進んでいました。
第1幕、第2幕。
そして第3幕も、リューの死と葬列までは書かれています。
しかし1924年。
プッチーニは作品を完成させないまま亡くなりました。
残されたのは、完成した楽譜だけではありません。
その先の場面について書き留めたスケッチや断片も残されていました。
つまり、結末について何も考えていなかったわけではない。
問題は、それを一つの音楽として完成させるところまで届かなかったことでした。
最後まで残ったのは「愛への転換」
なぜ《トゥーランドット》の完成には時間がかかったのでしょう。
大きな問題の一つが、トゥーランドット自身でした。
彼女は求婚者を処刑してきた姫です。
男性を拒絶し、愛を拒み続けている。
その女性が最後にはカラフを愛さなければ、物語は終わりません。
文字にすれば、「冷たい姫が、愛を知る。」それだけです。
けれど舞台では、それを観客に納得させなければならない。
しかも直前には、リューが死んでいます。
カラフを愛し、その名前を守り、自ら命を絶った女性。
観客はその死を見たばかりです。
そこから短い時間で、「今度はカラフとトゥーランドットの愛です」 と進まなければならない。
これは、かなり難しい。
リューを生み出したのはプッチーニだった
そもそもリューは、もとのゴッツィの戯曲にはいない人物です。
《トゥーランドット》をオペラにする過程で生まれた女性でした。
そしてプッチーニは、彼女に美しい音楽を与えます。
《お聞き下さい、王子様》
《氷のような姫君の心も》
カラフの《泣くな、リュー》もあります。
リューが登場するたび、巨大で冷たい北京の世界に、人間の体温が戻ってきます。
ところが、そのリューを強く描けば描くほど、別の問題が大きくなる。
では、トゥーランドットの愛はどう描くのか。
リューが観客の心を持っていったあとで、タイトルロールの女性を物語の中心へ戻さなければなりません。
プッチーニ自身が作り出したリューが、最後の場面を難しくしてしまったとも言えます。
プッチーニが最後に書いたのは、リューの葬列だった
プッチーニが完成させた音楽は、リューの死後まで続きます。
ティムールは悲しみに沈みます。
群衆も彼女を悼む。
そしてリューの亡骸が運ばれていく。
その先にあるはずだったのが、カラフとトゥーランドットの最後の場面です。
愛を知らなかった姫が変わる。
二人が結ばれる。
北京の民衆が歓喜する。
《トゥーランドット》という物語を完成させるなら、そこまで必要です。
けれどプッチーニ本人の完成稿は、そこへ到達しませんでした。
だから《トゥーランドット》には、物語の終わりと、作曲者の筆が止まった場所が一致していない
こんな不思議な境界があります。
アルファーノが続きを書いた
プッチーニの死後、作品を完成させる仕事を任されたのがフランコ・アルファーノでした。
アルファーノは、プッチーニが残したスケッチをもとに終結部を作曲します。
もちろん、何もないところから勝手に続きを作ったわけではありません。
残された素材を使いながら、プッチーニがたどり着けなかった終幕を音楽にする。
しかし、スケッチは完成した総譜ではありません。
どの素材を使うのか。
どうつなぐのか。
どこまで膨らませるのか。
最終的には、補筆する作曲家自身の判断が必要になります。
そのため、《トゥーランドット》の最後にはどうしても、境界が生まれます。
それが、プッチーニが残したものと、アルファーノが完成させたものになるのです。
そしてトスカニーニが削った
さらに話はもう一段あります。
アルファーノが書いた終結部は、そのまま現在一般的に演奏されているわけではありません。
アルファーノが最初に書いた終結部は長く、トスカニーニの意向によって大幅に短縮されました。
現在一般的に上演されるのは、この短縮された版です。
つまり普段私たちが耳にする《トゥーランドット》の最後は、
プッチーニ
↓
残されたスケッチ
↓
アルファーノ
↓
補筆による完成
↓
トスカニーニ
↓
短縮
という過程を通っています。
一人の作曲家が最後の小節まで書き、そのまま初演されたオペラとは少し事情が違います。
1926年の初演では、途中で音楽が止まった
《トゥーランドット》の初演は1926年、ミラノのスカラ座。
指揮台に立ったのはトスカニーニでした。
この初演で、第3幕のリューの死後。
プッチーニが書き残した音楽が終わったところで、トスカニーニは演奏を止めたと伝えられています。
そこで観客に、プッチーニが亡くなったため作品はここで終わったことを告げた。
つまり初日の《トゥーランドット》は、物語として予定された結末まで行かなかった。
作曲者が書いたところで終わった。
翌公演以降は、アルファーノによる終結部を含めて上演されます。
この初演の出来事は、《トゥーランドット》が未完であることを象徴する場面として語り継がれています。
では、最後の大合唱はプッチーニではないのか
ここが少しややこしいところです。
最後に響く大合唱には、第2幕ですでに登場していた旋律が使われています。
《トゥーランドット》の中で、私たちは一度その音楽を聴いている。
つまり、最後の音楽=すべてアルファーノが新しく作ったというわけでもありません。
プッチーニの素材があり、それをアルファーノが終幕として組み上げている。
だから「ここから先は全部別人の作品」と切ってしまうのも少し違います。
《トゥーランドット》の終結部は、二人の作曲家の境界が完全に一本の線で分かれているわけではありません。
プッチーニの残した音楽が、その先でも生きています。
問題は「誰が書いたか」だけではない
未完作品というと、「どこまで本人が書いたの?」が気になります。
もちろん、それも大切です。
でも《トゥーランドット》の場合、それだけでは終わりません。
もっと大きな問題が残っています。
トゥーランドットは、本当に愛を知ったように聞こえるのか。
リューが死んだ。
その直後、カラフとトゥーランドットが二人になる。
カラフは彼女に迫り、やがて姫の態度が変わっていく。
そして最後には、人々の前でカラフの名を告げます。
その名は――「愛」。
物語としては、ここで氷が溶けます。
けれど観客の感情まで、同じ速度で動けるとは限りません。
リューの死が大きすぎる
もしリューがこれほど強く描かれていなかったら。
トゥーランドットの変化は、もう少し受け入れやすかったのかもしれません。
けれどプッチーニは、リューにあまりにも美しい音楽を与えました。
彼女の死は、脇役の退場ではありません。
舞台全体を止めてしまうほど大きな出来事です。
その余韻が残っているうちに、作品は愛の成就へ向かわなければならない。
ここには、音楽の補筆だけでは解決できない難しさがあります。
必要だったのは、最後の数十分を書くことだけではない。
リューの死からトゥーランドットの愛へ、観客の心をどう連れていくか。
プッチーニが最後まで格闘していたのは、その橋だったのかもしれません。
《トゥーランドット》には、今も境界線が残っている
現在、私たちは《トゥーランドット》を一つの完成したオペラとして見ることができます。
カラフは三つの謎を解く。
《誰も寝てはならぬ》を歌う。
リューは命を落とす。
トゥーランドットは愛を知る。
そして大合唱で幕が下りる。
物語は終わっています。
それでも音楽の中には、一本の境界線が残っています。
リューの葬列までは、プッチーニが完成させた音楽。
その先には、彼が残したスケッチがあり、アルファーノが続きを書き、トスカニーニが手を入れた終結部がある。
だから《トゥーランドット》を最後まで聴いたとき。
華やかな大合唱の少し前に、ほんの一度だけ立ち止まってみてもいいのかもしれません。
リューの亡骸が舞台から消えていく。
そして、そのあと。
ここから先の音楽を、プッチーニ自身は完成させることができなかった。
そう知って聴くと、《トゥーランドット》の最後は少し違って聞こえてきます。